ルカによる福音書第2章22~35節
新年を迎えますと多くの人々が初詣でに出かけます。先ほどお聴きした聖書には、日本の初詣でとは意味が違いますが、お宮参りの場面が記されています。クリスマスの夜、馬小屋でお生まれになった赤ん坊を抱いて、マリアとヨセフは宮参りをしたのです。
ユダヤ人の間では、男の赤ちゃんが産まれると8日目に割礼ということをしまして、そこで名前をつけます。マリアとヨセフは天使から告げられていた通りに、産まれた子どもに「イエス」と名づけました。その後で幼子を抱いてエルサレムの神殿を詣でたのです。
こうした聖書の記事からわかりますのは、キリストがお生まれになってから後の様子というのは、ユダヤ人の社会にありまして普通に子どもが生まれた場合と比べて何一つ変わったことがないということです。
私たちは使徒信条で、イエス・キリストが神によって身ごもったマリアから生まれたことを「おとめマリアより生まれ」と言い表しますが、幼子を抱いて宮参りをしているマリアとヨセフを見た人たちは、せいぜい――ああ、あの二人にも子が与えられたのか……というふうにしか思っていなかったでありましょう。
イエスという名前にしても、これはごくありふれた名前です。『イエスさま』というと特別な名前のように思いますけれども、ユダヤ人の間では長男が生まれると好んでこの名前をつけたようです。別に珍しい名前ではありません。その名前をマリアとヨセフは、天使から告げられた通りにつけたということを知る人は誰一人いません。
こうしたことからはっきり言えることは、誰が見てもマリアとヨセフの間に抱かれていた幼子キリストは普通の赤ん坊であったということです。
エルサレムの神殿でマリアとヨセフは、イスラエルの律法(おきて)に従って動物のささげものをすることになっていました。本当ならば子羊一頭をささげるべきところでしたが、貧しい家庭の場合は鳩でもよいという決まりがありました。それで二人は鳩をささげることにしていました。このことからヨセフとマリアは大変貧しかったことがわかります。
それほどに貧しい二人が宮参りをする様子というのは、人々の注目を引くようなところは何一つなかったに違いありません。多くの人は、この貧しい夫妻とその間に抱かれていた赤ん坊のことなど全く気にも留めなかったことでしょう。
ところが、この赤ん坊に目をとめた一人の男がいました。シメオンという名の男は、幼子キリストを見るとマリアとヨセフにその幼子を抱かせてほしいと願い出ました。そして幼子を抱きあげると神を賛美してこう言ったのです。
主よ、
今こそあなたは、おことばどおり、
しもべを安らかに去らせてくださいます。
私の目があなたの御救いを見たからです。
あなたが万民の前に備えられた救いを。
異邦人を照らす啓示の光、
御民イスラエルの栄光を。
このシメオンの言葉は、後に『シメオンの賛歌(讃美歌)』と呼ばれるようになりました。讃歌とはいいましてもこの時シメオンはメロディーをつけて歌ったわけではありません。しかし、その心は幼子キリストを抱きながら喜びに満たされて、神を讃美する心であったといえます。
「しもべを安らかに去らせてくださいます」ということをシメオンは、ぶつぶつとつぶやいたのではなくて、まさに歌をうたう軽やかな喜びをもって口にすることができたのです。
長い間待ち続けてきた救い主が今、自分の腕の中に抱かれて眠っている。神の子キリストが、こんなに小さな軽い、赤ん坊として自分の腕の中にある。その時シメオンは「わたしはいつでも安らかに死ぬことができます」と歌わずにはおれなかったのです。新年を迎えて最初の日曜日、この歌に注目をしてまいりましょう。
この歌は、もはや死ぬことを恐れなくなった人の歌です。
この歌は、自分の人生が満たされた満足感に満ちた人の歌です。
日本の初詣に集まる多くの人々は、そこで願いごとをします。今年こそは良い年をと、この正月の初詣において、たくさんの願いごとがなされていることでしょう。今年こそは新型コロナが収束し、元の生活に戻れますように……ということが世界中の人々の願いとなっていることでしょう。
私たちもそれぞれに願いを持ってここに集っています。そういう私たちの願いごとをする心と、シメオンの讃歌とを比べるときに、この歌は何という歌であろうか!と思わせられます。シメオンは何かを求めて願いごとをしているのではなく、こう歌ってやまないのです。
――神さま、私はもういつ死んでも安らかでいられます。私の人生はもう十分に喜びに満ち足りました!
幼子イエスを見て抱いたとき、シメオンはどうしてこれほどまでに喜ぶことができたのでしょうか。それは救い主を見ることができたからです。シメオンはイエスのことを「万民の前に備えられた救い」と言っています。この「万民」という言葉の意味を、私たちは値引きすることなく値通りに受けとめたく思います。
民族や国家の違いを超えて、文化や宗教の違いを超えて、要するにすべての人間、人類。万民とはそういうことです。その万民のための救いを実現するために、天の父である神はキリストをクリスマスに与えてくださいました。そのキリストがシメオンの腕の中に抱かれている。シメオンはその重みを知っていたのです。
そして更には、キリストがどのように万民のために救いの道を拓かれるのか、そのことをシメオンは既に、聖霊によって知らされておりました。だからマリアにこうも言ったのです。
「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒したり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです」
詳しい説明を一切省きますが、これはイエス・キリストが十字架にかけられて苦しみをお受けになることについての預言といえるものです。
幼子イエスは、十字架にかかり死ぬために生まれてきました。万民の救いのためにです。シメオンは幼子のなかに、かわいらしさや愛おしさだけでなく、救い主に定めてられている死を既に見つめていました。そうして、独り子を十字架の苦しみに定めてでも万民を救おうとする神の愛を受けとめたのです。
『シメオンの讃歌』と共にどうしても思い起したくなる一つの文学作品があります。英国の女性作家でありますヴィーダの作品であります『フランダースの犬』という児童文学です。
ネルロ少年と愛犬パトラッシュをめぐる物語は、最後はたいへん悲しい結末を迎えます。雪の降り積もるクリスマスの晩、アントワープにある大聖堂のドーム型の天井の下で、少年と犬が体を寄せ合って死んでゆくという結末です。
このネルロという少年には、絵を描くすばらしい才能がありました。そのような才能に恵まれていたネルロには以前からの願い、憧れがありました。それは大聖堂の中に掛けられているルーベンスの絵を一目でよいから見たいということでした。大聖堂には『十字架に磔になるキリスト』と『十字架から降ろされるキリスト』という2枚の絵があったのです。しかしこの画の前には普段は覆いがかけられていて、金を払った者だけしか見ることができませんでした。
そのため、住む家や食べ物にも困り果てた生活をしていたネルロ少年には、絵を見ることは叶わぬ願いとなっていました。しかし、少年はこのルーベンスの絵を見ることを憧れ続けました。
その憧れが叶う時がきました。少年と犬は雪の積もるクリスマスの晩、住む家すらも失ってしまっていたため、アントワープの大聖堂にたどり着いたのでした。そのとき、いつも憧れ見あげていた絵の覆いが、どういうわけか開かれていたのです。
少年は両手を絵のほうに差し伸べて、喜びと感謝のうちに画を見あげました。そして十字架にかけられたキリストを見あげながら少年と犬は力尽きるのですが、その時、少年はこう言うのです。
「とうとう見たんだ。おお、神さま、十分でございます!」
この少年の「神さま、十分でございます」という言葉と、長い間待ち続けてきた救い主イエスを腕に抱いたシメオンが「今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます」と歌った言葉には、同じ響きがあります。
まさにシメオンが歌った讃歌は、言い換えれば「神さま、十分でございます」という喜びに満ちた感謝以外のなにものでもありませんでした。『フランダースの犬』の著者であるヴィーダもまた、自分が物語で描いたネルロ少年の最後の姿に、シメオンの姿を重ね合わせていたのではないか、と私には思われてなりません。
2週間前のクリスマス礼拝で、私たちは救い主のご降誕を祝いました。なぜ私たちはクリスマスを祝ったのか。キリストのご降誕が私たちにとって少しばかり嬉しい、楽しい気分にさせるものであったからでしょうか。キリストの降誕は、私たちにとって、ないよりはあったほうが良いことだからでしょうか。それは違うでしょう。
すべての人々のために、聖書が記しているように「万民」のために、それゆえに、年を越した今も先行きの見通せない混沌の中にある人々を救うためにキリストはご降誕くださいました。だからこそ私たちはクリスマスを祝ったのです。
このクリスマスの喜びと感謝をもったまま、私たちは年を越して新年を迎えたのではないでしょうか。であればこそ、この新年最初の礼拝において私たちは、いろいろなことを願い求めることに先立ち、キリストを与えて下さった天の父であるお方に「神さま、十分でございます!」と言える心をもたせていただこうではありませんか。その心をもってこの朝は、日本人によって作詞作曲された讃美歌を歌いたく思います。『この人を見よ』と歌う私たちに、神さまがシメオンにお与えになった喜びと感謝を満たして下さることを信じたいと思います。
(2022年1月2日公現主日礼拝)