一日も早く戦火が止むことを祈りながらも、市民の犠牲が増え続けている現実に、空しさを感じてしまうことがあります。そんなときに度々想い起す本があります。ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピースとして2005年に復刊された『パリは燃えているか』です。1966年につくられた同名の映画と共に、パリの都が戦火による廃墟にならずにすんだ経緯を思い出すことは、私にとって平和のための祈りを続ける一つの支えとなっています。
1944年8月、ノルマンディから進撃を続けていた米軍がドイツ占領下のパリに迫っていたとき、ヒトラーは「連合国軍にパリを渡すぐらいならパリを廃墟にしてしまえ」との命令を出しました。
パリ占領軍司令官ディートリヒ・フォン・コルテッツは軍人としての忠誠心から、パリの街に腕利きの工兵部隊に命じて爆薬をしかけさせます。
しかし、歴史的都パリを破壊してしまうことについて苦悩したあげく、最終的にはパリ市長の説得やスウェーデン総領事の協力を得ながら、ヒトラーの命令を無視して、連合国軍に投降する道を選びます。
映画では、コルテッツ将軍が降伏を受け入れて立ち去った司令部の部屋にある電話の受話器から、総統大本営からの「パリは燃えているか?」という問いが繰り返し聞こえてくるという演出がなされていました。
コルテッツは開戦以来、総統命令に忠実な軍人として、ヒトラーから直々にパリ占領軍司令官に任命されていた人です。その人が、総統命令に従うことを拒否し、結果としてパリの都は廃墟にならずにすんだのです。ここに私は希望を見出します。
日本における行政学の権威者の一人であり、国際基督教大学の教授、そして学長となられた渡辺保男(1926~1992 鎌倉雪の下教会で受洗、長老職も務めた)が「例外者の存在が、時代の良心としての不可欠の意義を持つ」と述べながら、日本がポツダム宣言を受諾した時の首相、鈴木貫太郎のエピソード(ルーズベルト大統領が死去した際に、米国に弔意をあらわしたこと等)を紹介しています。
コルテッツ将軍も、進退きわまった状況のなかで、時代の良心としての例外者とさせられていったように私には思われます。そして、そのような例外者となる人を、天の父であるお方がお用いになることを思いながら、平和のための祈りを新しくするのです。
参考文献 日本基督教団鎌倉雪ノ下教会伝道パンフレット第7号