危機神学への地平を開く —『すずめの戸締り』を観て—

 青森県八戸市から仙台にむかう三陸沿岸道路を走っていたときのことです。昼食のため立ち寄った宮城県にある道の駅大谷海岸は、映画『すずめの戸締り』に出てくるある場面のモデルとなったところでした。そのことは、レストランの入り口に置かれていた主人公の等身大パネルを見てはじめて知ったのですが。
 丁度、数日前に、その映画がテレビ放送されたのを家族が録画していたので、帰宅してから録画を観て「ああ、ここだ、ここだ」と面白がっていましたが、観終えたときには一つの問いに向きあわざるを得ませんでした。人の生死に関わる、そして個人や社会の努力によっても解決できないような危機のなかに立つための希望を自分は本当に見出しているかという問いです。そして、クリスチャンである作家、佐藤優氏が「危機神学入門」という講演で、越谷オサム著のライトノベル『陽だまりの彼女』のことを引用しながら『3.11』との関連について述べておられたことを思い出してもいました。

 最近の映画や小説をつぶさに知るわけではないので推測でしかありませんが、もしかすると、近年の映画や小説は、現代の時代を覆う危機とそれを克服する希望をテーマとして扱っているものが多いのかもしれません。だとして、それならば教会の礼拝で語られる説教はどうであろうか。福音の真理は危機のなかでこそ輝きを放つということはよく言われることですが、そのことを語る説教者の言葉が、現代の今、人々が感じとっている危機を克服しうる力ある言葉となっているかといえば、そのようになり得ていないのではないか。その原因の一つは、私自身、映画や小説を創作する人たちほどに、たとえば『3.11』によって顕在化した危機を真剣に受けとめることができていないからではないか……。そのようなことを考えながら、カール・バルトらが取り組んだ神学運動が『危機神学』と呼ばれる所以が、またそう呼ばれる神学の意義に目が開かれたように思ったのでした。

参考 フロマートカ著「神学入門―プロテスタント神学の転換点」 平野清美訳 佐藤優監訳(2012年 新教出版社)