受難節の礼拝説教
金曜後の午後3時を過ぎた頃、十字架の立てられたゴルゴタの丘に響き渡る叫び声を残してキリストは息を引きとられました。今や、キリストの目と口は閉じられ、その腕は力なくたれさがっています。こうしてキリストの死を謀った者たちの目的は達せられました。
そこで目的を遂げた者たちにとって期待されることは、この十字架刑の一件が静かに幕を閉ることでした。祭司長と長老たちは、キリストをだまして捕らえ、殺そうと相談した折に「祭りの間はやめておこう。民の間に騒ぎが起こるといけない」(第26章5節)ということを案じていました。祭りの期間を避けるということは思わく通りにはいきませんでしたが、キリストを死に追いやる目的を果たした今、残された課題は民衆の間に騒ぎが起こらずに、この一件がすみやかに沈静化することでした。人は面倒事が片付いた後は、それが蒸し返されることのないように静かに落ち着くことを、できることなら忘れ去られることを願うものだからです。
しかし事は、そのようにはなりませんでした。福音書はキリストの十字架による死について記した後、「すると見よ」と注意を呼びかけながら、驚くべき出来事を次々と語り始めます。
すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
地は揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。
彼らはイエスの復活の後で、墓から出て来て聖なる都に入り、多くの人に現れた。(51~53節)
聖書が「見よ」と呼びかけていることは、いずれも理解しがたいことばかりです。これらの一つ一つのことにどんな意味があったのか、聖書は何も説明をしてくれてはいません。そこで、これらについて、殊に神殿の幕が裂けたことについては、さまざまな解釈がなされてきました。しかし、今回はそのことには一切触れずに、聖書が報告している出来事の全体像をとらえたいと思います。その全体像については、こう申しあげることができます。
――夕闇が迫るゴルゴタの丘で、十字架につけられたキリストの腕が力なくたれさがった時、聖なるお方が御腕の力を発揮して行動を起こされたのだと。
その御腕の力は先ず、キリストを死に追いやることに成功した者たちの本拠地である神殿を直撃しましました。その結果、神殿の幕が裂けたのです。福音書はその意味については黙していますが、幕の裂け方について「上から下まで真っ二つに」完全に引き裂かれたことを記しています。そうすることで、破れ目が広がって裂けたというのではなく、またその破れは繕うことができるような程度ではなく、人の手によるもの以外の介入であることを証言しているのです。
このことは、私たちが聖書を読んでいても不思議に思うことですから、祭司長や長老たちにとっては、十字架の成功ということが吹き飛んでしまうほどに肝をつぶす大きな打撃となったに違いありません。
地が揺れ動き、岩が裂けるという普通ではない地震も、それは、ここで行動を起こしておられるのは神さまであるということを暗示するものでした。
そして、この一連の出来事のなかで最も理解困難な、墓が開いて、眠りについていた死者のからだが生き返ったということについては、神さまの御腕による介入が、私たちの想像を超える徹底したものであることを示すものといえましょう。
この墓や死者をめぐる不思議な出来事と共に思い出されるのは、使徒信条が十字架で死なれたキリストについて「陰府(よみ)にくだり……」と言いあらわしていることです。キリストが十字架に磔となって死なれ、それに止まらず陰府にまでくだられたことを想うとき、キリストが受けた苦しみの計り知ることのできない深さを思います。そのようなキリストを死を通して、神さまは墓とその先にある陰府にまで御腕を差し伸べたといえましょう。
『キリストの陰府くだり』については、ペテロの第一の手紙が、次のように記していることも想い起さずにはおれません。
キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは肉において死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました(「宣教されました」協会共同訳)。かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。(第3章19~20節)
死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、肉においては人として裁かれても、霊においては神のように生きるためです。(第4章6節 協会共同訳)
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キリストの死の後で起こった驚くべき出来事は、十字架刑の一件を静かに収束させるどころではなく、警備に当たっていたローマの将校と兵士たちにも衝撃を与えるところとなりました。そして非常な恐れをいだきながら彼らは言ったのでした。
「この方は本当に神の子であった」(54節)
この言葉を口にした傭兵たちは、天地の造り主である神を知らず、神が遣わしてくださる救い主についての知識も全くない人たちです。イスラエルの人々は、神を知らない外国人のことを蔑みを込めて「異邦人」と呼びました。その異邦人が十字架で死んだ人を「神の子」と呼んだとき、それは私たちが信仰告白や教理問答で学ぶ、キリストは神の御子であるという認識は皆無であったといえます。その意味では、この兵士たちがどのような理解でキリストを「神の子」と呼んだのかは、はっきりとしない怪しい面もあるのです。しかし、まさにそのような人たちが十字架上のキリストを指して「神の子」という言葉を口にしたことが注目に値するのです。そのことは、神さまの御腕による介入と同じことが言えるからです。
ゴルゴタの丘に響き渡る声で叫ばれたキリストの口が閉じたとき、真実を語る口が永遠に閉じられたというのではありません。人は神の口を閉じさせ黙らせることはできません。十字架刑の後、静けさを求める人の期待に逆らって、神さまは異邦人であるローマの傭兵たちの口を用いて、十字架で死んだ者が何者であったかという真実を語らせ、神の御子の証人とされたのです。
神の御子の証人といえば、そのためにキリストから直接に召された人たちがいました。12人の弟子たちです。その12人の男たちは皆キリストを置き去りにして逃げてしまい、十字架で息を引きとられたキリストの近くにはいませんでした。そのような男たちに代わって証人となっていたのが女性たちであったことを聖書は忘れてはならないこととして「そこには大勢の女たちがいて、遠くから見ていた」と記しています。
12弟子のひとりであるペテロは後に、初代教会の指導者となりました。そのペテロの墓の上に偉大な使徒ペテロを記念するサンピエトロ大聖堂というペテロの名をもつ大聖堂が建てられました。このペテロは、十字架上のキリストについての証人になり損なったのです。そこで神さまは、ペテロたちの代わりに証人として、ガリラヤの田舎からキリストと共に旅をつづけながら、食事の世話や洗濯をしていた女性たちをお用いになったのでした。
キリストが息を引きとったとき、神殿の幕が裂け、墓が開いて死者たちが現れるという不思議な出来事が起っただけでなく、異邦人が神の御子の証人となり、大勢の女性たちが証人として12人の弟子たちの代役を果たしました。更にもうひとりの男がキリストの証人となりました。
この人のことを福音書は「アリマタヤの出身で金持ちのヨセフ」と紹介しています。ヨセフは、ユダヤ人の議員でしたが聖書は「イエスの弟子になっていた」と記しています。キリストに対して憎しみを抱いていた者たちの集まりともいえる議会の議員のひとりがキリストの証人となり、弟子となったのです。
このヨセフは、ピラトにキリストのからだの下げ渡しを願い出ました。このことをヨセフは平然と行ったのではありません。というのは、キリストの側にある人間と見られることで、議員としての身分、財産、家庭を危険にさらすことになるからです。ヨセフがキリストのからだを墓に納めると、そこにしばらくでも留まることなく「立ち去った」という聖書の記述には、おののき臆しながら忙しく行動したヨセフの様子が伺われます。
キリストの証人となり弟子となった者は、人間としての弱さを全て克服してしまうわけではありません。自分や家族の身にふりかかる危険を恐れながら、びくびくしながら、ヨセフはキリストのからだを自分の墓に葬ったのでした。
ひとりのユダヤ人、金持ちの議員が危険を冒してまでも弟子のひとりとしてキリストのために働いたということは、神殿の幕が裂けた出来事に勝るとも劣らない奇跡と言ってよいでしょう。
こうして、十字架でキリストが息を引き取られた後、主の御腕の力が奪われ、失われてしまったかのように見える現状のなかで、神さまの御腕の力があらわされました。そのために、異邦人の兵士やキリストを敵視していたユダヤ議会の中からひとりの議員を、またガリラヤの田舎から来た女性たちがキリストの周りに集められ、それぞれに神さまから託された務めを果たしたのでした。この御腕の力が世界に、この国に、すべてのキリストの教会に及びますように!
(2025年4月13日 棕櫚の主日礼拝)