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ヨハネの福音書第9章1~12節 Ⅱ「因果ではなく神による将来を」
キリストは、生まれつき目の見えない、それゆえに物乞いをするしかなかった人を前にしてお語りになりました。 「わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。」 弟子たちは不幸な境遇に生きていた人について「先... -
ヨハネの福音書第9章1~12節 「神のわざが現れるために」
さて、イエスは通りすがりに、生れたときから目の見えない人をごらんになった。(1節) このような言葉をもって第9章は始められています。この1節は、単に物語を語りだすための導入句ではありません。このとき、目の見えない人に対してはキリストの弟子... -
マタイの福音書第27章62節~第28章10節「復活祭の平安を得る者」
イースター・復活主日礼拝説教 日曜日の朝、マグダラのマリアともう一人のマリアとが、キリストの葬られた「墓を見に行った」と聖書は記しています。このことについて、マルコの福音書はもう少し詳しく、マリアたちが墓に行った目的を「イエスに油を... -
マタイの福音書第27章46~61節「キリストの死後に起こったこと」
受難節の礼拝説教 金曜後の午後3時を過ぎた頃、十字架の立てられたゴルゴタの丘に響き渡る叫び声を残してキリストは息を引きとられました。今や、キリストの目と口は閉じられ、その腕は力なくたれさがっています。こうしてキリストの死を謀った者た... -
マタイの福音書第26章36~46節 「ゲツセマネの祈り、戦い、眠り」
受難節の礼拝説教 キリストがゲツセマネと呼ばれる場所で一夜を過ごされた出来事については『ゲツセマネの祈り』と呼ぶことが多いのですが、そこで起こっていた出来事に即して言うならば『ゲツセマネの戦い』と呼ぶべきかもしれません。この夜、キリスト... -
種を蒔く人のたとえ「福音としての神の国とその希望」
マルコの福音書 第4章1~20節 キリストのお語りになりました『種を蒔く人のたとえ』は、四つの場所に落ちた種の様子をありありと私たちの心に描き出してくれます。そして、道端に落ちた種、土の薄い岩地に落ちた種、茨の中に落ちた種がまったく実を結べ... -
ルカの福音書第2章1~12節「クリスマスに与えられたしるし」
2024年12月22日 クリスマス礼拝説教 ベツレヘムの馬小屋から赤ん坊の産声が聞こえてきたとき、野原では羊飼いたちが野宿をしながら羊の番をしていました。そこに天使が現れ、神さまから託されていた報せを羊飼いたちに伝えました。その報せこそはクリス... -
ヨハネの福音書第1章9節「まことの光、キリストの降誕」
2024年待降節第3主日礼拝説教 ヨハネの福音書は、クリスマスの物語についてはただの一言も触れていません。救い主を身ごもったマリアといいなづけヨセフの物語。天使によるキリスト誕生の報せを聞いた羊飼いたちが馬小屋にかけつける物語。お生まれにな... -
2024年クリスマス「勝利の歌が響くところ」
主こそ私の力、私の歌。私の救いとなってくださった。歓喜と勝利の声が正しき人の天幕に響く。(詩篇第118章14~15節 協会共同訳) この詩篇の言葉は、特にクリスマスの季節に読まれることが多いというわけではありません。しかし、この詩篇にはクリスマ...