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ヨハネの福音書第12章1~11節「ナルドの香油」
ベタニアという村で、ひとりの女性がキリストに、1年分の労働の対価に相当する高価な香油を注いだとき「家は香油の香りでいっぱいになった」と聖書は記しています。今日では、アロマ・セラピーという花やハーブなどの香りを嗅いでストレスを軽減し、心... -
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ヨハネの福音書第10章11~13節「良い牧者、キリスト」
わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。彼は雇い人で、羊たちの... -
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詩篇119篇130節/ヨハネの福音書第14章26節「みことばを与えて下さい」
みことばの戸が開くと 光が射し 浅はかな者に悟りを与えます。(詩篇第119篇130節)しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを想い起させてくだ... -
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ヨハネの福音書第9章1~12節 Ⅱ「因果ではなく神による将来を」
キリストは、生まれつき目の見えない、それゆえに物乞いをするしかなかった人を前にしてお語りになりました。 「わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。」 弟子たちは不幸な境遇に生きていた人について「先... -
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ヨハネの福音書第9章1~12節 「神のわざが現れるために」
さて、イエスは通りすがりに、生れたときから目の見えない人をごらんになった。(1節) このような言葉をもって第9章は始められています。この1節は、単に物語を語りだすための導入句ではありません。このとき、目の見えない人に対してはキリストの弟子... -
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マタイの福音書第27章62節~第28章10節「復活祭の平安を得る者」
イースター・復活主日礼拝説教 日曜日の朝、マグダラのマリアともう一人のマリアとが、キリストの葬られた「墓を見に行った」と聖書は記しています。このことについて、マルコの福音書はもう少し詳しく、マリアたちが墓に行った目的を「イエスに油を... -
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マタイの福音書第27章46~61節「キリストの死後に起こったこと」
受難節の礼拝説教 金曜後の午後3時を過ぎた頃、十字架の立てられたゴルゴタの丘に響き渡る叫び声を残してキリストは息を引きとられました。今や、キリストの目と口は閉じられ、その腕は力なくたれさがっています。こうしてキリストの死を謀った者た... -
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マタイの福音書第26章36~46節 「ゲツセマネの祈り、戦い、眠り」
受難節の礼拝説教 キリストがゲツセマネと呼ばれる場所で一夜を過ごされた出来事については『ゲツセマネの祈り』と呼ぶことが多いのですが、そこで起こっていた出来事に即して言うならば『ゲツセマネの戦い』と呼ぶべきかもしれません。この夜、キリスト... -
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種を蒔く人のたとえ「福音としての神の国とその希望」
マルコの福音書 第4章1~20節 キリストのお語りになりました『種を蒔く人のたとえ』は、四つの場所に落ちた種の様子をありありと私たちの心に描き出してくれます。そして、道端に落ちた種、土の薄い岩地に落ちた種、茨の中に落ちた種がまったく実を結べ...
